戦前には、旧熊谷警察署敷地内(熊谷市本町,現在のコミュニティー広場)にあった演武場において
昭和二年から剣道愛好家が寒稽古、暑中稽古を行っていた記録がある。
昭和二十年八月十四日の空襲で大半が焼失し、道場もなくなり、稽古をするにも場所がない有様で
あった。 しかし、昭和二十三年ごろ県北剣道界の大御所であった梅沢照佳が中心となり、
岡田春吉、加藤勝芳、神沼清三郎、兼杉正男、 新井守雄、 渋沢平吉、 斎藤千三、 福島政一、
西田政夫、小林鏡明、 田島秀雄などとともに熊谷剣友会を結成し、岡田氏の庭先(のちに桜田中学
校講堂)で稽古を行うようになった。
昭和二十七年秋、剣道禁止が解除されるとともに熊谷剣道連盟を結成した。
昭和
27年 秋
熊谷剣道連盟が結成され、初代会長に梅沢照佳が就任。
同年熊谷市体育協会に加盟した。
28年
2代会長に 鴨田宗一(当時熊谷市長)が就任。副会長に
岡田春吉が選出された。
30年
岡田春吉熊谷市文化功労賞を受賞。そのころ熊谷警察
演武場へと練習場は移った。
31年
3代会長に 岡田春吉 就任。以後19年間にわたり会長を務
めた。岡田春吉の功績は、今日、熊谷市総合体育大会
剣道大会での岡田賞(昭和51年制定)として若者の心に
伝えられている。
37年10月
熊谷市制30周年記念埼玉県下剣道大会が実施された。
38年 3月
熊谷武道振興会設立。剣道連盟も参加し、第一回武道
振興大会剣道大会を実施し、以後毎年実施し、平成14年
まで開催された。
39年 5月
熊谷剣道連盟の育ての親である梅沢照佳は、京都剣道
大会にて逝去された。
(全日本剣道連盟より剣道界への貢献を称え剣道範士の称号を追受)
40年3月
梅沢照佳範士追悼剣道大会を富士見中学校体育館に
おいて実施。
42年
埼玉国体の会場として建築された市民体育館内剣道場へ
練習場は移った。
11月
明治百年記念剣道大会を実施。
( 県下の明治生まれの剣士200余名を招待して開催した。)
44年9月
第一回遠征旅行実施。以後毎年実施し現在に至る。
48年
熊谷市制40周年記念奉額剣道大会を実施。 市内高城神社
に剣道額を奉納し、今も残る。
49年 岡田春吉会長が熊谷市文化功労賞を受賞。同年 熊谷市教育
委員会、熊谷剣道連盟共催による剣道教室を開講し、以後現在
まで続く。
同年
4代会長に 渋沢平吉 就任。
50年
熊谷剣道連盟主催の日本剣道形講習会を開催。以後毎年2回
開催し現在に至る。
52年
日本体育協会主催スポーツ指導員養成講習会開催。講師に
渋沢平吉、中山一男、谷川恒夫が委嘱される。
53年
渋沢平吉会長が熊谷市文化功労賞を受賞。
54年
渋沢平吉は埼玉県剣道連盟副会長に就任。
56年
熊谷市東ロータリークラブ主催、熊谷市教育委員会後援、
熊谷剣道連盟主管による第一回熊谷市青少年剣道大会開催、
以後毎年実施し現在に至る。
57年
5代会長に 鴨田康治 就任。
58年
埼玉県剣道連盟創立30年記念功労者として斎藤千三、
鴨田康治、中山一男、谷川恒夫が表彰される。
60年
熊谷市体育協会が財団法人化となる。
平成
2年
6代会長に 瀧 馨 就任。剣道連盟会則を改正。
5年11月3日
熊谷市制施行60周年記念剣道大会を市民体育館にて開催。
6年5月
7代会長に 中山一男 就任。
7年
8年
9年
10年
11年
8代会長に 笠原浩 就任。
12年
13年
9代会長に 谷川恒夫 就任。
14年
15年11月8日
熊谷市制施行70周年記念剣道大会を市民体育館にて開催。
16年4月1日
連盟稽古場所を熊谷市立市立大原中学校に移動
17年
10代会長に 吉田博三 就任。
11月3日
中山一男顧問が全日本剣道連盟から剣道有功賞を授与される
熊谷少年少女剣道教室 全剣連少年剣道奨励賞受賞
18年11月3日
日立金属少年剣道教室 全剣連少年剣道奨励賞受賞
19年
11代会長に 落合恒夫 就任
20年11月3日
妻沼剣道教室、江南剣道教室
全剣連少年剣道奨励賞奨励賞受賞
21年
12代会長に 石野茂 就任。
11月3日
熊谷市剣道スポーツ少年団 全剣連少年剣道奨励賞奨励賞受賞
11月30日
中山顧問逝去 全剣連より生前の剣道普及発展の功績に対し
顕彰状贈呈される
22年
故中山顧問 熊谷市文化功労賞を受賞
11月3日
みいずが原少年剣道部 全剣連少年剣道奨励賞奨励賞受賞
23年11月3日
剣心会 全剣連少年剣道奨励賞奨励賞受賞
24年11月3日
瀧顧問逝去 全剣連より生前の剣道普及発展の功績に対し
顕彰状贈呈される
25年
13代会長に 鶴間信好 就任。
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